長与町のJR長崎本線(旧線)本川内駅は、かつてスイッチバック方式の駅でした。
左奥諌早方面から来た列車は、左手前のホームに入ります。そこから右奥にバックし、右手前長崎方面へ向かいます。
平成14年にスイッチバックが廃止され、新しいホームが出来ています。
子どもの頃、列車で通るたびに不思議に思っていました。このスイッチバック、さほど勾配がきついとは思えない。停車しない列車もある。ナゼ?
峠の中腹から眺めてみても、謎は深まるばかり。
蒸気機関車の構造上の問題かとも考えましたが、答えは本川内駅の歴史にありました。
この駅は、単線区間における列車行違いのため、昭和18年に信号場として開業したそうな。それまでは普通に通過していたということか。山と川に挟まれた傾斜地という地形的制約でスイッチバック方式になったらしい。戦時中なので、恐らく鉄道輸送の高速化を図ったのでしょう。その後、昭和27年に駅に昇格しています。蒸気機関車も普通に通過できたんですねえ。
ちなみに新線の開通は昭和47年なので、この当時まだ出来ていません。
長崎市中心部から時津町に向かう国道206号線を車で走っていると、巨大な岩が見えてくる。岩の柱に巨石が載った今にも落ちそうな奇妙な岩「さばくさらかし岩」です。別名「継石坊主」。時津町の文化財に指定されています。
狂歌師蜀山人が、長崎奉行所在勤中に紹介したことで有名になったとのこと。個人的には、魚売りの話の方がなじみがあります。
ずいぶん昔にローカルCMで紹介されていたのと、某全国ネットの日本の昔話を紹介するアニメに登場しました。要約すると、
昔時津村の魚売りがそばを通りがかり、今にも落ちそうな岩を見て、落ちてから行こうと待っていたら売り物の魚が腐ってしまった。
といった話です。
今落ちてきたら、交通量の多い国道は大変なことに。なので、安全のためボルトか何かで固定していることは想像に難くないのですが、それを現地に確かめに行ったつわものが居られるようです。結果は想像にお任せします(*^-^)。
場所は、時津町の長崎バス継石バス停のそばです。
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