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カテゴリー「雲仙市」の17件の記事

2016年2月20日 (土)

千々石名物じゃがちゃん

2016年2月18日の「秘密のケンミンショー」で紹介されていた北海道中山峠のあげいも。じゃがいもに衣をつけて油で揚げた料理だけど、長崎にも似たような料理がある。久しぶりに買いに行った。

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長崎県雲仙市、千々石観光センターで売っている「じゃがちゃん」。じゃがいもに衣をつけて油で揚げてます。外はカリッとしていて、中はホクホク。1本200円。ここでしか売ってません。こちらもネットで検索すると結構出てきます。考案されたのは40年ほど前だそうです。あげいもと同じくらいか少し新しいくらいでしょうか。

で、「あげいも」のほうですが、中山峠は立ち寄った覚えはあるのに印象にありません(汗)。雪の羊蹄山に見とれて気が付かなかったのか、または長崎にも似たようなものがあると思ってスルーしたか。

2014年4月23日 (水)

肥前高来郡守山城址

雲仙市吾妻町の国道251号線を走っていると、「守山城跡公園」の案内板があったので、行ってみた。

続きを読む "肥前高来郡守山城址" »

2012年11月19日 (月)

南北に市糴す‐長崎県考古学会より

 11月17・18の両日、雲仙市国見町で長崎県考古学会と肥後考古学会共催の大会があったので行ってみました。
テーマは「有明海をめぐる弥生時代集落と交流」。

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 長崎県南部の弥生時代遺跡には、熊本地方から搬入された土器が結構出てます。これらの土器が有明海を直接渡ってきているようです。現在人の感覚では、海は交流の障害のように思われますが、当時はむしろ活発な交流がなされていたであろうことが指摘されています。また、諌早の地峡を介して大村湾や橘湾とも繋がっていたと。そうなると、肥後から玄界灘に向かうルートとしては、長崎半島の先端(外洋)を回るより安全なはずです。

島原半島、大村湾岸には幾つかの拠点集落がありますが広い平地が少なく、、水田だけでは食べていけません。
 「平野?あるじゃないか」と思った皆さん、今ある平野のほとんどは、県内最大の諌早平野をはじめ、江戸時代以降の干拓でできたものです。大村の平野が一番広そうですが、ここも扇状地のため水田は海岸に近いところだけです。魏志倭人伝に云う「良田あるも食するに足らず、南北に市糴す」状態であったようです。海のネットワークは弥生中期ごろに始まったようです。その「画期」は何かと云うと、明確な答えは出なかったように思いますが、ちょうど大陸では「秦」の時代であり、佐賀平野に残る「徐福伝説」との関連も指摘されています。

 「海上交流」は弥生時代に限ったことではなく、後々の時代でも特に西北九州の歴史を考える上で、押えておくべきキーワードです。
 ある説に、「肥前と肥後が海を隔てて分かれているのはおかしい。肥前国は本来筑紫国だったのではないか」と云うものがありますが、考古学的に見ると間違いのようです。海は「隔てている」のではなく、「繋いでいる」のです。

 地元ではこの大会に合わせて「島原半島の弥生時代展」をやっています。期間は今月いっぱいのようです。

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 資料館の建物自体古い校舎を利用しており、なかなか趣のある感じです。


より大きな地図で 雲仙市歴史資料館 を表示

2012年6月20日 (水)

魚洗川D遺跡

  「いわれご」と読みます。雲仙市(旧国見町)の百花台公園から雲仙岳に登る国道周辺にAからEまでの遺跡があります。先日ネット上で久々に「魚洗川」の地名を見たので、懐かしくなり訪れてみました。

D

 この辺りから上が魚洗川D遺跡になります。旧石器時代から縄文時代にかけての遺物が出ています。
 平成3年に県道の拡幅工事に伴う緊急調査
で発見された遺跡で、長崎県教育委員会が発掘調査を実施しています。その成果は「県道国見雲仙線改良工事に伴う埋蔵文化財緊急発掘調査報告書」にまとめられています。

 現在は国道389号線ですが、発掘調査が行われた時点では県道でした。しかも車が一台通るか通らないかの細い道でした。山奥~、という感じでしたね。今では道も広くなって、ずいぶん印象が違います。
 また、あの頃は雲仙普賢岳が噴火していたころで、火砕流がよく発生していました。風向きによっては、この辺りにも火山灰が降ってきたものです。
 

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 ここからしばらく登ると、魚洗川茶屋跡の案内板があります。長崎県の遺跡地図には載っていないようです。由来と正確な場所を書いた説明板がほしいですね。
 場所はというと、当時「山奥」という印象の魚洗川D遺跡からさらに登ったところです。この付近に、島原藩御城下から半島西海岸に抜ける山越えのルートがあったとか。ビックリです。
(追記:さらに登ったところに最短ルートがあるとか)

 

2012年3月31日 (土)

金浜眼鏡橋

雲仙市小浜町から、橘湾を南下する国道251号線を走っていると、「金浜眼鏡橋」の案内板が見えてきます。以前から付近を通るたびに気になっていたのですが、今回初めて立ち寄ってみました。

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元々江戸時代に架けられた橋で、平成に入ってから改修されています。「眼鏡橋」というので2重アーチ橋かと思っていたら違いました(*゚ー゚*) 国道端の駐車スペースにはその由来を書いた説明板があるのですが、潮風にさらされてまったく読めません。

ちなみにこの橋が架かる川筋、「金浜断層」です。グーグルマップで島原半島を地形表示させると、雲仙岳の北側に千々石断層が見えます。そして南側に見えるのが金浜断層になります。この二つの断層に挟まれた地域が、雲仙地溝と呼ばれており、多少新しい地質になります。雲仙地溝は雲仙岳が噴火するたび、雲仙岳の重みで沈み込むそうで、いつまでたっても富士山のように高くなれないとか。金浜断層は千々石断層に比べ浸食が激しいようで、現地で観察してもあまりピンときません(^-^;





2012年3月29日 (木)

もう一つのさばくさらかし岩(西有家町サバくされ石)

南島原市の『西有家町郷土誌』を読んでいると、「サバくされ石」の記述が目に留まりました。話の内容も、以前紹介した時津町のさばくさらかし岩と同じ。出典は長崎県小学校教育研究会国語部編『長崎の伝説』と出ています。

場所は小浜町(現雲仙市)との町境近く、塔の坂地区の旧道キリシタン道路尻切坂そば。但し現在(平成10年、西有家町郷土誌刊行時)は森に覆われて見えないとか。ダメもとで現地に行ってみました。

雲仙温泉街の手前から国道389号線に入って、塔の坂地区入口までの区間にあたりをつけて車を走らせました。この区間、国道は尾根筋を通っていますが、どうもその大岩が在りそうな景観に見えません。むしろ塔の坂の集落を挟んで反対側に見える高岩山周辺には幾つも岩が露出していて、奇岩があってもおかしくない気がしました。またしばらく走っていると、九州自然歩道の案内板があったので、参考に見てみました。

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地図で見ると、そのルートは高岩山の麓を通って雲仙温泉に抜けているようです。やはりその岩は高岩山周辺なのか?あいにく山登りの格好ではないので、今回は撤収(゚ー゚;

2012年3月27日 (火)

肥前小浜駅跡(雲仙鉄道-最終回)

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肥前小浜駅の記念碑は国道に出る手前の消防団詰所の敷地内にありました。ここから小浜温泉の中心部までまだ2kmほどあります。この路線跡が富津入口の交差点から国道57号線に入った後、終着駅がどこなのか最近まで謎でした。まさかここが終点とは。記念碑の場所も、予備知識なしでは判り辛いかも。

当時ここから温泉街までは用地が確保できなっかったらしい。現在国道が通っている場所は埋め立て地だとか。ここから先はバスで行くか歩くしかないわけで、これが廃線になった原因のようです。

余談ですが、戦前には雲仙鉄道とは別に、長崎から雲仙まで電車を走らせる計画があったとか。橘湾岸を走るルートだったようですが、実現しなかったようです。

2012年3月24日 (土)

雲仙鉄道‐番外編

雲仙市小浜歴史資料館に雲仙鉄道関連の資料があると聞いて、行って見ました。

資料館は小浜温泉発展の基礎を造った本多湯太夫邸跡を整備して建てられています。

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小浜温泉には、長崎の茂木から船も出ていたんですね。昭和20年代まであったとか。バスとの競争に負けたようです。

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上海航路があったころは、大陸から多くの客が避暑にやってきたとか。

今年、その上海航路が復活しました。また小浜にも外国人観光客が増えることを期待したい。

次回、いよいよ最終回(^-^;

余談ですが、小浜には「小浜ちゃんぽん」があります。長崎から伝えられたもので、小浜の名物です。小浜の着いたのが昼時だっだので、店を探して入ってみました。その店には島原名物の「具雑煮」もあって、どっちにするか迷ったのですが、ちゃんぽんにしました(*^-^)おいしかったですよ。

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このお店では、これまた小浜名物の「湯せんべい」が付いてきます。懐かしい味でした。

2012年3月20日 (火)

富津駅跡(雲仙鉄道8)

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この富津駅跡、私の子供の頃はもう少し富津小学校寄りにあったような気がするのですが、記憶違いか?ホームも残っていたはずです。

小浜から富津の集落を眺めると、結構大きな集落に見えます。子どもの頃から馴染みのある地区ですが、新発見です(*^-^)

ここを過ぎると、2kmほどで終点肥前小浜に到着です。この間に、切り通しと盛土の区間が続きます。

次回に続く

2012年3月17日 (土)

木津の浜駅跡(雲仙鉄道7)

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木津の浜駅跡には当時のホームが残されていました。

眼下には旧小浜町の北端、木津の集落があります。鉄道が出来るまでは、この先の富津の集落から山越えするか、船で行くしかなかったのでは?

幾つかの切り通しとトンネルを抜けると、富津の集落に入ります。富津小学校の付近から少しの区間盛土になっているようです。盛土の区間を抜けると富津駅に着きます。

次回に続く

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