肉形石を観るー特別展「台北国立故宮博物院」九州会場
台湾故宮博物院の宝物が九州にやって来るというので、九州国立博物館まで見に行った。
台湾故宮博物院の宝物が九州にやって来るというので、九州国立博物館まで見に行った。
長崎県東彼杵郡東彼杵町に、D51蒸気機関車の原寸大ダンボール模型が展示されているので行ってみた。
佐賀県立名護屋城に、黄金の茶室が展示されているというので、行ってみた。
長崎歴史文化博物館で「恐竜展2013」をやっている。恐竜は、私の歴史好きの原点のようなものですが、夏休み中は子どもたちで混んでそうだったので2学期を待って行ってみました。
エントランスホールの入ると、トリケラトプスの模型がお出迎え。この模型、動くだけでなく音も出ます。結構大きな声で鳴いてました。
展示場内には、骨格標本などの資料がずらり。ケース内の化石については、イメージ模型が添えられています。音声ガイドを聞きながらじっくり見学。
※ちなみに写真撮影OK!
下は、ティラノサウルスの骨格標本。躍動感のあるポーズは、3Dモデルを駆使したシュミレーションで獲物に襲いかかる一瞬を再現したものだとか。
頭蓋骨についている「目」のようなもの、「強膜輪(きょうまくりん)」とよばれる目を支える骨だとか。薄くてもろいため、めったに化石として残らないらしい。哺乳類以外の脊椎動物にみられる。魚の頭食べる時に目の周りについているアレだね、たぶん。
「鳥は恐竜から進化した」
この説が出てきたのは最近のことだと思っていたら、既に150年も前からあったんですね。戦争で恐竜の研究どころでなくなったことで忘れられてしまったようです。
近年、長崎でも恐竜等の化石の発見が相次いでいます。残念ながら今回は展示されてませんでした。
最近、長崎市内で肉食恐竜の歯の化石が見つかったと云うので、長崎市科学館へ見学に行きました。
下の写真左端がお目当ての化石です。ちなみに、左から2番目と右端の化石は以前このブログで紹介しています(2012年3月22日 ・2012年5月 7日 )。
化石自体は2011年に発見されました。歯の化石2点ですが、別の個体のもの。発見場所はどちらも長崎半島西岸です。下の写真右は、新聞等でも紹介されていますが、「三ツ瀬層」と呼ばれる白亜紀後期(約8400万年前)の地層から発見された、体長7m以上、大型肉食恐竜の化石だとか。縁がのこぎり状だったため肉食と判明したそうです。(石に突き刺ささっているのかと思ったら、歯根の一部でした(汗))。
もう一つは少し新しい時代の地層から見つかっています。
「三ツ瀬層」からはこの他にもカメなど脊椎動物の化石が多数出ています。
このところ、県内で恐竜の化石がよく見つかっているようで、今後の調査研究が楽しみです。
今、佐世保市の島瀬美術センターに国史跡泉福寺洞穴 から出土した国の重要文化財「豆粒紋土器」が展示されています。復元されたレプリカは常設展示されていますが、本物はなかなか見ることができません。撮影禁止なので、お見せできないのが残念。一見の価値有りです。
泉福寺洞穴遺跡については、また後日。
より大きな地図で 佐世保市博物館 を表示
11月17・18の両日、雲仙市国見町で長崎県考古学会と肥後考古学会共催の大会があったので行ってみました。
テーマは「有明海をめぐる弥生時代集落と交流」。
長崎県南部の弥生時代遺跡には、熊本地方から搬入された土器が結構出てます。これらの土器が有明海を直接渡ってきているようです。現在人の感覚では、海は交流の障害のように思われますが、当時はむしろ活発な交流がなされていたであろうことが指摘されています。また、諌早の地峡を介して大村湾や橘湾とも繋がっていたと。そうなると、肥後から玄界灘に向かうルートとしては、長崎半島の先端(外洋)を回るより安全なはずです。
島原半島、大村湾岸には幾つかの拠点集落がありますが広い平地が少なく、、水田だけでは食べていけません。
「平野?あるじゃないか」と思った皆さん、今ある平野のほとんどは、県内最大の諌早平野をはじめ、江戸時代以降の干拓でできたものです。大村の平野が一番広そうですが、ここも扇状地のため水田は海岸に近いところだけです。魏志倭人伝に云う「良田あるも食するに足らず、南北に市糴す」状態であったようです。海のネットワークは弥生中期ごろに始まったようです。その「画期」は何かと云うと、明確な答えは出なかったように思いますが、ちょうど大陸では「秦」の時代であり、佐賀平野に残る「徐福伝説」との関連も指摘されています。
「海上交流」は弥生時代に限ったことではなく、後々の時代でも特に西北九州の歴史を考える上で、押えておくべきキーワードです。
ある説に、「肥前と肥後が海を隔てて分かれているのはおかしい。肥前国は本来筑紫国だったのではないか」と云うものがありますが、考古学的に見ると間違いのようです。海は「隔てている」のではなく、「繋いでいる」のです。
地元ではこの大会に合わせて「島原半島の弥生時代展」をやっています。期間は今月いっぱいのようです。
資料館の建物自体古い校舎を利用しており、なかなか趣のある感じです。
より大きな地図で 雲仙市歴史資料館 を表示
長崎県東彼杵町木場郷本地寺の第36代住職故井手寿謙氏は、アマチュアの考古学者としても知られていました。井手氏は学生の頃から独学で考古学を学び、地元周辺遺跡の表採活動を続けてこられました。中でも大村野岳遺跡で見つかる細石器が旧石器であることを「岩宿遺跡発見」より前に気づいていました。これらの資料は昭和34年、芹沢長介先生を通じて全国へ紹介されることとなり、さらに昭和46年、鈴木忠司先生の論文で野岳遺跡の細石器に「野岳・休場型」の名称が与えられます。
その井手氏を顕彰しようと、東彼杵町では標記の企画展を開催しています。
期間は平成24年12月20日までだそうです。場所は東彼杵町歴史民俗資料館です。
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