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カテゴリー「雲仙鉄道」の10件の記事

2012年3月27日 (火)

肥前小浜駅跡(雲仙鉄道-最終回)

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肥前小浜駅の記念碑は国道に出る手前の消防団詰所の敷地内にありました。ここから小浜温泉の中心部までまだ2kmほどあります。この路線跡が富津入口の交差点から国道57号線に入った後、終着駅がどこなのか最近まで謎でした。まさかここが終点とは。記念碑の場所も、予備知識なしでは判り辛いかも。

当時ここから温泉街までは用地が確保できなっかったらしい。現在国道が通っている場所は埋め立て地だとか。ここから先はバスで行くか歩くしかないわけで、これが廃線になった原因のようです。

余談ですが、戦前には雲仙鉄道とは別に、長崎から雲仙まで電車を走らせる計画があったとか。橘湾岸を走るルートだったようですが、実現しなかったようです。

2012年3月24日 (土)

雲仙鉄道‐番外編

雲仙市小浜歴史資料館に雲仙鉄道関連の資料があると聞いて、行って見ました。

資料館は小浜温泉発展の基礎を造った本多湯太夫邸跡を整備して建てられています。

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小浜温泉には、長崎の茂木から船も出ていたんですね。昭和20年代まであったとか。バスとの競争に負けたようです。

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上海航路があったころは、大陸から多くの客が避暑にやってきたとか。

今年、その上海航路が復活しました。また小浜にも外国人観光客が増えることを期待したい。

次回、いよいよ最終回(^-^;

余談ですが、小浜には「小浜ちゃんぽん」があります。長崎から伝えられたもので、小浜の名物です。小浜の着いたのが昼時だっだので、店を探して入ってみました。その店には島原名物の「具雑煮」もあって、どっちにするか迷ったのですが、ちゃんぽんにしました(*^-^)おいしかったですよ。

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このお店では、これまた小浜名物の「湯せんべい」が付いてきます。懐かしい味でした。

2012年3月20日 (火)

富津駅跡(雲仙鉄道8)

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この富津駅跡、私の子供の頃はもう少し富津小学校寄りにあったような気がするのですが、記憶違いか?ホームも残っていたはずです。

小浜から富津の集落を眺めると、結構大きな集落に見えます。子どもの頃から馴染みのある地区ですが、新発見です(*^-^)

ここを過ぎると、2kmほどで終点肥前小浜に到着です。この間に、切り通しと盛土の区間が続きます。

次回に続く

2012年3月17日 (土)

木津の浜駅跡(雲仙鉄道7)

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木津の浜駅跡には当時のホームが残されていました。

眼下には旧小浜町の北端、木津の集落があります。鉄道が出来るまでは、この先の富津の集落から山越えするか、船で行くしかなかったのでは?

幾つかの切り通しとトンネルを抜けると、富津の集落に入ります。富津小学校の付近から少しの区間盛土になっているようです。盛土の区間を抜けると富津駅に着きます。

次回に続く

2012年3月15日 (木)

上千々石駅跡(雲仙鉄道6)

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上千々石の駅は一度見落として行き過ぎてしまいました。記念碑のデザインが他と違うだけでなく、文字の色が完全に落ちているためでしょう。風化はしていないようです。

この先は幾つかのトンネルと切り通しを抜けて、木津の浜に到着します。道が細いので、車の離合が大変です。トンネルの中で運悪くバスとはち合わせたら万事休す(^-^;幸い今回は無事でした。切り通しは、周りの木々が上を覆っていてまさに緑のトンネルです。

あと4回、お付き合いください(^-^;

2012年3月13日 (火)

千々石駅跡(雲仙鉄道5)

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国道57号線をバス停があり、その横に記念碑が建っています。温泉軽便鉄道と小浜鉄道が接続する駅。列車がすれ違える場所は、ほかにあったのだろうか?ここでは、当時の千々石駅の様子が写真で紹介されています。

しばらく行くと、「緑のトンネル」の案内板があります。車はここから国道を離れ海岸線を目指します。

次回へ続く

2012年3月 8日 (木)

浜駅跡(雲仙鉄道4)

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国道から入って海岸線に出ると、浜駅の記念碑があります。この辺りから先、記念碑の文字の色が不鮮明になります。潮風の影響でしょうか?実際の路線跡は山裾側にありました。現在は民家が数件建っています。国土地理院の地形図には道があるようですが、現地では痕跡が見つかりませんでした。

ここから千々石までは千々石断層の断崖の下を通ります。この区間が最も長くなっています。左手は若干の畑地、右手は橘湾。この辺りの海底には千々石カルデラがあり、いちばん深いという。

愛野から小浜まで昔鉄道があったことは、子どもの頃から知ってはいましたが、愛野から途中の千々石までのルート、どうやって千々石断層の断崖を越えたのか謎でした。まさか断崖の下に道があるとは。それが路線跡でした。

海沿いの狭いルートを抜けた路線は、国道57号線に入り千々石駅に向かいます。この国道への入り口、信号も無く交通量も多いので、車がなかなか入れません。交差点の手前から一旦海水浴場側の道に出られることをお勧めします。

次回に続く

2012年3月 6日 (火)

水晶観音駅跡(雲仙鉄道3)

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現在の国道に出た路線は、唐比(からこ)湿地公園を右に見ながら東に向かいます。途中水晶観音駅を通過しますが、実際の観音堂入口からはだいぶ手前にあります(水晶観音に伝わる伝承については、また後日)。しばらく行くと、右斜めに入る道があり、そこから海岸線に出ると浜駅の記念碑があります。

橘湾の断層は千々石から諌早の有喜(うき)まで続いていますが、なぜか唐比地区で途切れています。一説によると、雲仙火山と有喜火山のすそ野が重なる谷線だという。またこの地区には昔「唐比レンコン」という幻のレンコンがあり、今復活させようという取り組みがあるとか。

次回に続く

2012年3月 3日 (土)

愛津駅跡(雲仙鉄道2)

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愛津駅から日吉神社下までは有明川を遡りますが、「愛津」という地名からして大昔はこの辺りまで海だったのではと思わせるような景観です。余談ですが、川を挟んだ反対側には「唐津」という地名もあります。日吉神社下の少し先から、当時の路線が歩行者専用道路として残っています。車はその路線跡を左に見ながら国道251号線に出ます。路跡線自体は、交差点角のガソリンスタンド裏手を通っています。国道を200mほど進むと次の水晶観音駅に到着です。

次回に続く

 

2012年3月 1日 (木)

愛野村駅跡(雲仙鉄道1)

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その昔島原半島の入口雲仙市愛野町から、半島の西岸小浜温泉まで鉄道が通っていました。1つは大正12年に開通した愛野、千々石間の「温泉軽便鉄道」。もう1つは昭和2年に開通した千々石、小浜温泉間の「小浜鉄道」でした。諌早愛野間は島原鉄道を利用し、小浜温泉まで直通列車が走っていました。その後昭和8年に雲仙軽便鉄道と小浜鉄道が合併し「雲仙鉄道」ができます。しかし業績が振るわず、昭和13年に廃止になりました。営業キロ17.34km、駅数は起終点含めて9つ。全線単線非電化の路線です。

全線残りがよく、トレッキングする人も多いようですが、狭いながらも車が通るので車で巡ります(*^-^)。

起点は島原鉄道の愛野村駅、現在の愛野駅です。全線残りがよいと書きましたが、実は愛野村駅から次の愛津駅まで1.7kmの区間は区画整理などで、ほとんど残っていません。なのでここは、国道57号線愛野交差点から有明川の右岸を遡る道を通ります。しばらく行くと幸町公民館の前に出ます。ここから先は昔のルートがたどれます。公民館からおよそ350mほどで、愛津駅に着きます。

次回に続く

余談ですがこの愛野駅、この先の島原鉄道吾妻駅までの片道切符が「愛しのわが妻(いとしのわがつま)」と読めることから、バレンタインデーだったかホワイトデーだったかのローカルニュースでたまに取り上げられます。駅舎もメルヘンな感じです。

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