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カテゴリー「考古遺跡」の25件の記事

2014年3月25日 (火)

大野台支石墓群ー稲作農業のさきがけとなった人々の墓地

佐世保市鹿町町にある国の史跡、大野台支石墓群を訪ねてみました。

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2014年2月 5日 (水)

弥生時代に火葬?-大村市竹松遺跡

平成26年2月5日付の新聞記事を紹介します。

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2013年10月 8日 (火)

大和王権の西の端ー笠松天神社古墳

平戸市田平町にある前方後円墳です。

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2013年8月31日 (土)

鬼塚古墳(佐世保市)ーひさご塚古墳の被葬者と同族?

佐世保市宮津(大村湾岸)に位置する鬼塚古墳は、直径約16mの円墳である。この夏、暑い盛りに発掘調査をやっていると云うので、行ってみた。

埋葬施設は、石棺を石室の腰石に見立てて、その上に板石を積み上げ、横口を設けるもので東彼杵町のひさご塚古墳とよく似た造りをしている。ひさご塚古墳との違いは、横穴式石室として造られているところである。また、この古墳では被葬者を安置するスペースが区分けされている。
時期は5世紀中ごろから後半。ひさご塚古墳が5世紀前半から中ごろなので、鬼塚古墳の方が新しい。
被葬者は、この地方の豪族で、交易で力を蓄えたと考えられる。

H25

副葬品として、青銅鏡や短甲等が出土している。青銅鏡は、ひさご塚古墳のもの似ているようだ。

H25_2 H25_5

下の写真では、土を突き固めて塚を造った様子が判る。元々斜面だった場所を一旦平坦にしてから古墳を造ったとか。

H25_4

下の写真少し判り難いが、車が止まっている左手のミカン畑の中にある。
この古墳、埋葬施設が2層になっている可能性があるらしく、9月に掘り下げるらしい。

Photo


より大きな地図で 佐世保市の史跡 を表示

2013年6月23日 (日)

竹松遺跡ー遺跡見学会

大村市竹松遺跡の「遺跡見学会」があったので、行ってきた。

期間は6月23日(日)・24日(月)・25日(火)の3日間。
(雨天決行です。)

前回紹介した「古代彼杵郡の港を示すと云う紡錘車」、残念ながら撮影禁止でした。新聞には載っているのにネ~。

ちなみに紡錘車は滑石製で、平安時代の10世紀後半から11世紀中ごろの遺物。また、それよりおよそ100年前の「墨書土器」も出土している。土師器の外側に人名と思われる文字が炭で書かれている。
他にも中国製の陶磁器や鏡なども出ている。おそらく、「彼杵郡の港」から荷揚げされたものでしょう。

10世紀と云えば、律令制が衰退しているころ。既に郡衙もその役割を終えているのでは。「彼杵郡衙」の所在地は諸説あるが、まだ決着がついたとは言えないようです。

2013年6月12日 (水)

古代彼杵郡衙が近くに?-大村市竹松遺跡の発掘調査より

昨年に引き続き発掘調査が行われている大村市竹松遺跡。古代彼杵(そのぎ)郡衙の存在を窺わせる文字資料が出土したと云うので、早速行ってみた。

10世紀ごろの紡錘車で、「都(つ)」「木(き)」のふた文字が刻まれていました。「都」は「港(津)」を意味し、「木」は「彼杵」を意味するとか。すぐ近くに郡川が流れており、その河口付近に港があったと推定されます。近くには条里遺構もあり、この辺り一帯の地名を「郡(こおり)」と呼ぶことから、昔から彼杵郡衙の推定地の一つとされてきました。
因みにもう一つの推定地は、ここから北に位置する東彼杵町彼杵地区です。こちらは、弥生時代から古墳時代にかけて「彼杵郡」の中心だったと考えられています。

但し調査は始まったばかりで、紡錘車も特定の遺構から出土したものではないとか。瓦なども出土していないようなので、ここに役所や港があったと云う事ではないようです。周辺の発掘調査から「郡地方」の集落の中心は国道34号線の海側と考えられています。

残念ながら写真は撮らせてもらえませんでした(汗)

月末に一般公開されるようです。

より大きな地図で 竹松遺跡 を表示

2013年6月 6日 (木)

豊前国府跡

ドライブの続き。カーナビは確かに便利なのだが、近道と称して幹線道路でもない細い道を走らされるのには閉口する(汗)

福岡県京都郡みやこ町に「豊前国国府跡」が、公園として整備されている。豊前国の政庁として8~12世紀まであったそうだが、このうち10世紀ごろの建物を中心に復元しているとか。

Img_7592 Img_7587

福岡県の指定史跡だとか。前回紹介した上毛郡衙跡の方が、格式上ですねえ(笑)

例によって、建物の配置はコチラをどうぞ↓


より大きな地図で 豊前国国府跡 を表示

2013年6月 4日 (火)

豊前国上毛郡官衙跡

梅雨の中休みを利用して、豊前国方面へドライブに出かけた。高速を使って片道3~4時間、気ままな一人旅です(笑)

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国道10号線を中津市から豊前市へ抜ける途中の道の駅に気になる看板があったので、立ち寄ってみた。

「国指定史跡大ノ瀬官衙遺跡(だいのせかんがいせき)」

Img_7577 Img_7579

奈良時代、豊前国上毛郡衙政庁跡。保存状態も良く、律令制の地方官衙の一形態を示す貴重な遺跡だとか。
「正殿」と「脇殿」、それを囲む柵列が、芝生の中に地上絵のごとくあるのですが、周りに高い場所が無いので、うまく写真に撮れない(汗)

こちらで確認↓


より大きな地図で 大ノ瀬官衙遺跡 を表示

2013年4月23日 (火)

平戸オランダ商館跡

慶長4年(1609)から寛永18年(1641)、長崎出島に移転するまで、平戸がこの国唯一のオランダ貿易港でした。大正時代に国の史跡になっています。平戸港の入り口付近に位置します。オランダ塀の他、海岸の石垣、オランダ井戸などが残っています。

Photo_2

写真は倉庫の跡です。平成7年の発掘調査で、建物の基礎と思われる配石遺構が出土しています。資料が少ないので、遺構の位置表示のみだとか。

より大きな地図で 平戸市の史跡 を表示

2013年4月 3日 (水)

鷹島海底遺跡(鷹島神崎遺跡)-元の軍船発見の地

長崎県北部、伊万里湾を塞ぐように鎮座しているのが鷹島。数年前隣の佐賀県側から橋が架けられたので、簡単に行けるようになった。

鷹島と云えば元寇の遺跡として知られており、平成24年3月に海底遺跡の一部が「鷹島神崎遺跡」として国の史跡になっている。指定1周年を機に訪れてみた。

下の写真湾の入り口左手あたりが、沈没船が見つかった場所。

Img_7470

写真は資料館入口の展望台から撮っていますが、ここにある望遠鏡、ただの望遠鏡ではありません。覗くと、実際の風景に重ねる形で、元の軍船が集結している様子と、その船が嵐で難破する様子が描かれています。

Img_7483 Img_7478

傍には1988年、モンゴルとの文化親善交流を記念したタイムカプセルが埋められています。取り出すのは5年後の2018年だとか。

で、こちらの資料館、当然メインは元寇関連のコーナーです。元軍が攻めてきた様子などを、昔風の絵で紹介していたりします。隣の埋蔵文化財センターでは、保存処理した船の錨など、見学できます。

ついでにモンゴル村にも行ってみた。無料で入れる「モンゴル生活館」を見学。鷹島でも蒙古軍による被害が大きかったにもかかわらず、文化親善交流と互いの友好を深めるため「モンゴル村」を造ったという。未来永劫目の敵にすることは誰にでもできるが、仲良くなるなど誰にでも出来ることでは無いのでは?

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