政宗毒殺未遂事件-NHK大河「独眼竜政宗」(再)より
大河ドラマ「独眼竜政宗」の再放送、毎回欠かさず見ています。当然ですがみんな若い(笑)。今は亡き俳優さんもいたりして、27年の歳月を感じさせます。
さて今回は政宗毒殺未遂事件。
大河ドラマ「独眼竜政宗」の再放送、毎回欠かさず見ています。当然ですがみんな若い(笑)。今は亡き俳優さんもいたりして、27年の歳月を感じさせます。
さて今回は政宗毒殺未遂事件。
7月6日放送、第27回の感想あれこれ。
西門正蔵が技師をしていた鉱山って?
8月25日の「八重の桜」、あの男が帰ってきた。新島襄は大阪での学校設立を却下された後、山本覚馬の仲介で京都府知事槇村正直に面会する。京都での学校設立に難色を示していた槇村が、大坂府知事が学校設立を却下したことを知ると、「渡辺昇が!?」と驚き、対抗意識むき出しで京都に学校をつくることを許可する・・・。
渡辺昇。突然長崎大村の偉人が出てきたので、ちょっとビックリ(汗)。「薩長土肥」と云いながら、その時代を扱ったドラマには「薩長」しか出てこないような。肥前大村藩も27,900石の小藩ながら、戊辰戦争の論功行賞では佐賀藩より多い30,000石をもらったと云うのに、ほとんど出てきません(;д;)。もっと取り上げてほしいな~。
ここで、ちょっとご紹介。
・読み方は「のぼる」・「のぼり」
・肥前大村藩士、剣術家、子爵
・天保9年(1838)~大正2年(1913)
・神道無念流の練兵館に入門、桂小五郎(木戸孝允)の跡を受けて塾頭になる。
・坂本龍馬の依頼で薩長同盟を働きかけ
・維新後、大阪府知事、会計検査院長、貴族院議員などを歴任。
・近代剣道の発展に尽力
・兄、渡辺清も維新で活躍。明治政府の役職を歴任。
・姪(兄の子)、石井筆子は日本の近代女子教育者の一人。日本初の知的障害者福祉創始者の一人。
6月9日の「八重の桜」、仙台に乗り込んだ新政府軍に対し、会津を救うべく立ち上がる東北諸藩。
そんな中で強硬に会津攻略を強要する、小沢仁志さん演じる「世良某」の憎ったらしいこと(笑) 一番印象に残っちゃいました。とうとう暗殺されちゃいます。会津戦争の口実を与えちゃうんですねえ。
…で、調べてみると、この世良某、「世良修蔵」という長州藩士(と云っても農民の出)らしいですが、悪いうわさ(評価)しか聞かない(汗) 他の作品でも大概悪役として描かれるとか。そんな彼を総督府参謀に据える人事は、会津戦争の口実を与えるためなのか?
20年ほど前、ヨーロッパアルプスで発見された「アイスマン」の最新情報が放映された。結構面白かった。
時代は5,300年前なので、日本では縄文時代前期。世界4大文明も最初の頃。どんな生活をしていたんでしょうねえ。今回の調査では、アイスマンを完全解凍するとか。「解凍して大丈夫?」と思いつつ見てました(^-^;。
○グルメで、ファッションセンスあり?
胃の内容物から山羊の仲間をはじめとする動物の肉、さらに既にパンがあったことが判った。また着けていた衣類からファッションセンスがうかがえるとか。
古代人は、その日一日を生きるのに精いっぱいだったわけではなかったようです。
縄文人のイメージが変わってきたのも20年ぐらい前でしたか?文明発祥の地以外の地域の住民も、結構いい暮らしをしていたと云う事が世界史規模でうかがえるかも。
○鍼灸治療の痕跡?
アイスマンの体には、服で隠れた場所に幾つかの刺青があった。これが鍼灸治療の腰痛に効くツボの位置を示したものだとか。レントゲンでも腰を患っていたことは確かなようです。
中国で鍼灸治療が始まるよりはるか昔ですねえ。
○銅の斧
アイスマンが持っていた銅製の斧。純度約99%は、この地域で銅器が作られ始めたとされる時期より1,000年も古いとか。
番組では簡単に流していたようですが、銅の精錬技術の伝播は気になります。
交易によって持ち込まれた可能性を考慮してなかったように思う。
○死因
レントゲンで調べると、背後から矢が刺さっている。また腸内の花粉から山を登ったり下りたりしていたことがうかがえるとか。これだけなら狩りの途中で、仲間の射た矢が誤って刺さり死んだ事故として処理されそうなものです。アイスマンの場合、顔面の殴られたような傷と奇妙な姿勢から殺されたと推測されたようだ。
5,300年前の殺人事件。動機は何だったんでしょうね。気になります。
アイスマンは再び冷凍保存されるとか。未来の研究者が、進んだ技術で新たな発見をすることを期待したい。「「殺人事件」の解釈が実は間違っていた」なんてことになったら面白そうだ。
時代劇水戸黄門が、とうとう終わってしまいました。物心ついたころから見ていたので残念です。といっても、大人になってからは初回と真中、最終回の三回だけ見ることが多かったですが(^-^;
それにしても、あおい輝彦さんが「謎の侍」のままで終わったのが少しモヤモヤします(^-^;
ウィキベディアで黄門さまが立ち寄った先を調べてみました。
私の故郷では、正確に数えたわけではないですが、天領長崎がやっぱり多い。旅の目的地になることも多かったようです。
あとは平戸藩。意外と多かったのが島原藩でした。また意外なところでは五島福江藩にも1回行っていました。
県内では大村藩と対馬藩に訪れた形跡がありません。おそらくお殿様が名君で悪代官も悪徳商人もいなかった為、黄門さまの手を煩わせることも無かった…そう思う事にします(*^.^*)。
その黄門さま、ラストはまた旅に出られたご様子。スペシャルで帰ってきたりするのでありませうか?
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最近のコメント