原城跡-島原の乱の舞台
元の名前は「志自岐原(しじきはら)城」といって、日野江城を本城とする有馬氏の支城でした。
長崎県南島原市にある国の史跡です。二の丸、三の丸はほとんど畑のようです。長崎県最大の平山城です。写真は本丸跡で、公園になっています。
本丸跡を海側から眺めると、こんな感じ。海側から攻略するのは、恐らく無理。
本丸跡から少し離れた場所にある小さな丘が天草丸です。
「田町御門」跡。
明応5年(1496)有馬貴純によって築かれたとされていますが、確証はない。
慶長20年(1615)の一国一城令で、廃城になった後寛永14年(1637)「島原の乱」の舞台となります。この時の幕府軍約125,000に対して一揆軍は約37,000だったとか。3倍の兵力があれば簡単に落とせそうなものですが、幕府軍は兵糧攻めに持ち込んでいます。近年の発掘調査で乱にまつわる遺物が多数出土しています。
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コメント
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原城跡は昔よく行ってました!
最近某心霊番組で取り上げられていましたが、別に幽霊の噂とか聞いたことはないですね。
原城で思い出したんですが、私の家(国見町)の近くにも十字架のたっている"結城(金山)城跡"という城跡があります。
城跡といってもほぼ普通の丘で、上っていくと広場になっているだけで特に何があるという訳でもありませんが、たしか石垣が少しだけ残っていたと思います。
投稿: | 2016年9月22日 (木) 18時09分
初めまして。コメントありがとうございます。
城跡と十字架の関係も気になりますね。
投稿: 高来郡司 | 2016年10月15日 (土) 08時40分