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2014年3月25日 (火)

大野台支石墓群ー稲作農業のさきがけとなった人々の墓地

佐世保市鹿町町にある国の史跡、大野台支石墓群を訪ねてみました。

今から約2,300年前、縄文時代末期から弥生時代前期にかけての共同墓地跡です。

※弥生時代の始まりについては諸説ありますが、一応現地説明版のとおり。

指定されているのは、2地点46基。大陸との交流、支石墓の移り変わりを知るうえで重要な遺跡です。A・B・C・D・E の5地点があり、その内C・E地点が史跡に指定されています。

支石墓の下部構造は、石棺墓だったり、甕棺墓だったり、土壙墓だったりしますが、この遺跡は石棺墓が多いようです。石棺墓等に埋葬した後、周りに石を配してその上に碁盤状の大きな石をのせています。西北九州に集中的にみられる埋葬方法で、大陸から稲作とともに伝わったとされています。

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