大和王権の西の端ー笠松天神社古墳
平戸市田平町にある前方後円墳です。
全長34m以上。後円部直径22m。高さ2.5m。前方部最大幅14m。高さ1.4m。埋葬施設は竪穴式石室と思われます。4世紀中ごろの古墳で、県の史跡に指定されています。大和王権の支配が、九州の西の端まで及んでいたことを示す遺跡です。また、古墳の北にある弥生時代の里田原遺跡との関連もうかがえます。
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