ポルトガル人、平戸を去るー宮の前事件
天文19年(1550)、ポルトガル船が県内で最初に平戸に入港し、南蛮貿易がはじまります。
当初は貿易、布教活動とも順調であったようですが、しだいに仏教寺院の反発を招くようになり、永禄元年(1558)、宣教師が国外追放される事件が起こります。
その後も貿易は続けられていましたが、永禄4年(1561)、「宮の前事件」の後、ポルトガル人が平戸を去ることになります。
事件の経緯は「横瀬浦」のページに書いていますが、ちょっとおさらい。
永禄4年(1561)平戸でポルトガル人殺害事件が発生。この事件の発端は、取引上のトラブルでした。この争いが大きくなってポルトガル人の総司令官まで応援に駆け付ける騒ぎとなります。ここで平戸の領主松浦氏の家来たちが総司令官および13名のポルトガル人を殺害するに及びます。事件現場が平戸「七郎宮」の門前だったので「宮の前事件」と呼びます。
宣教師側の言い分によると、この事件について領主松浦隆信が誠意ある態度をとらなかったとして、平戸に代わる新たな貿易港を探すことになります。
写真が七郎宮神社の門前で、事件現場です。平戸港の一番奥です。この辺り一帯で取引が行われていたんですね。
現在、ストアーのある辺りにその神社はありました。神社自体は、その後平戸城内の亀岡神社に合祀されています。
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