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2013年9月10日 (火)

鈴田牢跡ーキリシタン専用牢

大村市鈴田地区にある鈴田牢は、元和3年(1617)7月から元和8年(1622)9月まで、長崎奉行所の捕えられたキリシタン宣教師や信者が入れられていました。キリシタンのための牢だったと云います。広さ26平方メートルの小屋に多い時で33人もの人が入っていた。
江戸時代の初期、元和8年8月5日(1622年9月10日)にあった「元和の大殉教」の時も、多くのキリシタンが入れられていました。

写真右にあるのが牢屋跡です。奥行き5.3m、間口3.5mで、周囲には二重に柵が設けられ、扉には二重の鍵がかけられていた。宣教師が残した記録によると、鳥かごのようであったと。

Img_7427

近くによって見ました。擬木で囲った範囲が牢屋の広さだとか。確かに狭い。真中にある台は、牢屋跡を復元するにあたり、祈りをささげる場として設置された祭壇です。

Img_7433_2

鈴田牢は元和の大殉教の後しばらくして、大村の御城下に移転します。

より大きな地図で 大村市の史跡 を表示

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