鈴田牢跡ーキリシタン専用牢
大村市鈴田地区にある鈴田牢は、元和3年(1617)7月から元和8年(1622)9月まで、長崎奉行所の捕えられたキリシタン宣教師や信者が入れられていました。キリシタンのための牢だったと云います。広さ26平方メートルの小屋に多い時で33人もの人が入っていた。
江戸時代の初期、元和8年8月5日(1622年9月10日)にあった「元和の大殉教」の時も、多くのキリシタンが入れられていました。
写真右にあるのが牢屋跡です。奥行き5.3m、間口3.5mで、周囲には二重に柵が設けられ、扉には二重の鍵がかけられていた。宣教師が残した記録によると、鳥かごのようであったと。
近くによって見ました。擬木で囲った範囲が牢屋の広さだとか。確かに狭い。真中にある台は、牢屋跡を復元するにあたり、祈りをささげる場として設置された祭壇です。
鈴田牢は元和の大殉教の後しばらくして、大村の御城下に移転します。
より大きな地図で 大村市の史跡 を表示
« ブログ開設2周年 | トップページ | 「教会群とキリスト教関連遺産」推薦ならず? »
「キリシタン史」カテゴリの記事
- 信徒発見ー国宝大浦天主堂(2015.03.17)
- 鈴田牢跡ーキリシタン専用牢(2013.09.10)
- 中浦ジュリアン出生地(2013.02.21)
- 川棚町のキリシタン墓碑(2012.12.25)
- 嬉野市不動山のキリシタン史跡(2012.12.07)
「大村市」カテゴリの記事
- 弥生時代に火葬?-大村市竹松遺跡(2014.02.05)
- 鈴田牢跡ーキリシタン専用牢(2013.09.10)
- 竹松遺跡ー遺跡見学会(2013.06.23)
- 古代彼杵郡衙が近くに?-大村市竹松遺跡の発掘調査より(2013.06.12)
- 八重桜ー国指定天然記念物オオムラザクラ(2013.04.10)
「近世」カテゴリの記事
- 口之津南蛮船来航の地(2014.03.22)
- 日野江城跡-島原の戦国大名有馬氏の居城(2014.06.17)
- 原城跡-島原の乱の舞台(2014.05.07)
- 島原城跡発掘調査報告会‐石垣復旧工事(2013.10.14)
- 鈴田牢跡ーキリシタン専用牢(2013.09.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント