コメント・トラックバックについて

  • 申し訳ありませんが、以下のコメント・トラックバックは公開しないか排除させていただきますので、ご了承ください。 1.記事内容と関係のない内容のコメント・トラックバック 2.ブログのテーマに合わない内容のコメント・トラックバック 3.外国語のコメント・トラックバック 4.特定サイトへの勧誘のみのコメント・トラックバック 5.見た人を不快にさせる内容のもの 6.その他このブログに相応しくないと判断したもの

バナー

  • トレンドポスト
  • 九州沖縄の展覧会
  • 長崎の歴史と旅の遊学サイト「旅する長崎学」
    旅する長崎学
無料ブログはココログ

« 梨子の木茶屋跡-日見峠東側 | トップページ | 大阪府知事渡辺昇ーNHK大河「八重の桜」より »

2013年8月21日 (水)

日見新道(明治新道)‐「日本初の有料道路」・・・ではなかった?

長崎街道、日見峠。右手に上る道が江戸時代の街道、左手は明治15年に開通した県道(日見新道)になります。新道開通により、人力車や馬車が通れるようになりました。民営の道路で、工事費は当時の金額で47,000円。これを償還するため、明治17年~22年まで通行料を徴収していました。我が国の有料道路の始まりと云われています。・・・といった趣旨の説明がありますが、最近の研究では違ったようです。

Img_7516

・実際は県営の公共工事である。

・国の補助金だけでは足りないので、民間から資金を募った。

・工事費を、通行料で回収する方法に前例あり。

 ・長崎県内では時津新道が明治11年から徴収開始。

 ・全国的には、旧東海道の箱根新道が明治8年からだとか。

日見新道の建設はインフラ整備事業の一つであり、日本初の有料道路でもない、と云うのが結論のようです。

「西の箱根」と称された日見峠の「日本初の有料道路」と云う名誉が、奇しくも本家箱根に取られた形です(汗)。

より大きな地図で 長崎市の文化財 を表示

« 梨子の木茶屋跡-日見峠東側 | トップページ | 大阪府知事渡辺昇ーNHK大河「八重の桜」より »

史跡巡り」カテゴリの記事

長崎市」カテゴリの記事

近代」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 梨子の木茶屋跡-日見峠東側 | トップページ | 大阪府知事渡辺昇ーNHK大河「八重の桜」より »

2020年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック