日見トンネルー車社会を見越したトンネル
江戸時代、長崎と小倉を結んだ長崎街道。その中で日見峠は、「西の箱根」と称されるほどの難所でした。明治15年、日見新道が開通。このころはまだ人力車や馬車の時代でしたが、その後自動車が交通の手段となっていくと、大正15年に日見トンネルが完成しました。全長642m、幅員7.4m 当時として日本最大規模のトンネルです。
このトンネル、自動車が普及し始めたとはいえ、まださほど多くなかった時代、1車線分の幅員で造る案もあったらしいのですが、今後自動車がさらに普及することを見越して2車線分の幅員にしたと伝えられています。
今でこそ交通量も減っていますが、日見バイパスが開通するまでは慢性的な渋滞でした。車社会の度合いが、先人たちの予測を超えてしまったといえます。
平成13年登録有形文化財に登録されました。
手前に写っているのは、以前紹介した「梨子の木茶屋跡」です。
より大きな地図で 長崎市の文化財 を表示
« 日見峠新「新茶屋」跡ー日見新道開通により移転 | トップページ | 鬼塚古墳(佐世保市)ーひさご塚古墳の被葬者と同族? »
「史跡巡り」カテゴリの記事
- 長戸鬼塚古墳(2017.04.20)
- 善神さん古墳(2017.04.18)
- 川棚魚雷艇訓練所跡ー長崎県川棚町の「特攻殉国の碑」を訪ねる(2014.08.08)
- 筑豊の石炭王伊藤伝右衛門邸宅跡(2014.07.20)
- 口之津南蛮船来航の地(2014.03.22)
「長崎市」カテゴリの記事
- 天然記念物「長崎市小ヶ倉の褶曲地形」(2015.07.02)
- 信徒発見ー国宝大浦天主堂(2015.03.17)
- 日本茶輸出貿易の先駆者ー大浦けい居宅跡(2014.02.07)
- 孫文先生故縁の地ー東洋日の出新聞社跡(2014.02.03)
- 長崎の茶わん蒸し専門店ー「吉宗」(2014.01.05)
「近代」カテゴリの記事
- 信徒発見ー国宝大浦天主堂(2015.03.17)
- 川棚魚雷艇訓練所跡ー長崎県川棚町の「特攻殉国の碑」を訪ねる(2014.08.08)
- 筑豊の石炭王伊藤伝右衛門邸宅跡(2014.07.20)
- 日本茶輸出貿易の先駆者ー大浦けい居宅跡(2014.02.07)
- 孫文先生故縁の地ー東洋日の出新聞社跡(2014.02.03)
この記事へのコメントは終了しました。
« 日見峠新「新茶屋」跡ー日見新道開通により移転 | トップページ | 鬼塚古墳(佐世保市)ーひさご塚古墳の被葬者と同族? »
コメント