芒塚句碑(三基)-向井去来の句碑
長崎街道日見峠の中腹に、長崎県指定有形文化財芒塚句碑があります。
向井去来は長崎の人で、8歳で父と京の都へ移住。30歳代半ばで松尾芭蕉の門人になり、蕉門十哲の一人と称されます。元禄2年(1689)に一時帰郷し、長崎に蕉門俳諧を伝えました。
正面の句碑は、去来が長崎を離れる時、この地まで見送りに来た人たちに対して詠んだ句で「君が手もまじるなるべし花薄 去来」、裏面に天保4年(1784)に長崎の俳人達が建立したことが刻まれています。芒塚の名前の由来は去来の句から来てるんですね。
左側の碑は、去来の紹介や官氏が刻まれています。また、右側の碑は、安政3年(1856)に建立された去来の顕彰碑だとか。
でも、句碑までは車で行けます(笑)
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