コメント・トラックバックについて

  • 申し訳ありませんが、以下のコメント・トラックバックは公開しないか排除させていただきますので、ご了承ください。 1.記事内容と関係のない内容のコメント・トラックバック 2.ブログのテーマに合わない内容のコメント・トラックバック 3.外国語のコメント・トラックバック 4.特定サイトへの勧誘のみのコメント・トラックバック 5.見た人を不快にさせる内容のもの 6.その他このブログに相応しくないと判断したもの

バナー

  • トレンドポスト
  • 九州沖縄の展覧会
  • 長崎の歴史と旅の遊学サイト「旅する長崎学」
    旅する長崎学
無料ブログはココログ

« 奥羽鎮撫総督府参謀世良某ーNHK大河「八重の桜」より | トップページ | 竹松遺跡ー遺跡見学会 »

2013年6月12日 (水)

古代彼杵郡衙が近くに?-大村市竹松遺跡の発掘調査より

昨年に引き続き発掘調査が行われている大村市竹松遺跡。古代彼杵(そのぎ)郡衙の存在を窺わせる文字資料が出土したと云うので、早速行ってみた。

10世紀ごろの紡錘車で、「都(つ)」「木(き)」のふた文字が刻まれていました。「都」は「港(津)」を意味し、「木」は「彼杵」を意味するとか。すぐ近くに郡川が流れており、その河口付近に港があったと推定されます。近くには条里遺構もあり、この辺り一帯の地名を「郡(こおり)」と呼ぶことから、昔から彼杵郡衙の推定地の一つとされてきました。
因みにもう一つの推定地は、ここから北に位置する東彼杵町彼杵地区です。こちらは、弥生時代から古墳時代にかけて「彼杵郡」の中心だったと考えられています。

但し調査は始まったばかりで、紡錘車も特定の遺構から出土したものではないとか。瓦なども出土していないようなので、ここに役所や港があったと云う事ではないようです。周辺の発掘調査から「郡地方」の集落の中心は国道34号線の海側と考えられています。

残念ながら写真は撮らせてもらえませんでした(汗)

月末に一般公開されるようです。

より大きな地図で 竹松遺跡 を表示

« 奥羽鎮撫総督府参謀世良某ーNHK大河「八重の桜」より | トップページ | 竹松遺跡ー遺跡見学会 »

古代」カテゴリの記事

大村市」カテゴリの記事

考古遺跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/580211/57570065

この記事へのトラックバック一覧です: 古代彼杵郡衙が近くに?-大村市竹松遺跡の発掘調査より:

« 奥羽鎮撫総督府参謀世良某ーNHK大河「八重の桜」より | トップページ | 竹松遺跡ー遺跡見学会 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のトラックバック