眉山の噴火でできた倒木痕-南島原市権現脇遺跡
南島原市深江町の「権現脇遺跡」で、縄文時代前期から中期にかけて地層から、眉山噴火に伴う倒木痕が複数見つかったと発表があった。
遺跡の範囲は、島原市と南島原市にまたがり、雲仙岳噴火の火砕流で焼失した大野木場小学校の山手に広がっています。
眉山は雲仙岳の東山麓、島原市街地の背後にそびえています。寛政4年(1792)の山体崩壊では、多くの土砂が有明海に流れ込み、対岸の肥後ノ国に津波の被害をもたらしました。「島原大変肥後迷惑」という言葉の元になった山です。
今回発見された倒木痕は、火砕流によく似た「火砕サージ」により根こそぎなぎ倒されたものだとか。地元の新聞では、倒木痕ができるメカニズムまで図入りで解説されていました。
眉山が噴火したと云う文献記録はないようですが、それ自体火山だったんですねえ。
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