庚申原庵室跡ー日蓮宗寿量山本地寺の前身
江戸時代、大村藩江の串村木場郷(現在の東彼杵町木場郷)に「本地寺」というお寺があります。そのお寺が最初に建立された場所へ行ってみました。
寛永18年(1641)、若狭国の日審上人が日蓮宗布教のため江の串村を訪れた時、木場郷の児玉久右衛門が日審上人に深く帰依し、慶安2年(1649)出家し「宗喜日悦」となります。刀や脇差を売って釈迦如来像を整え、ここ「庚申原」に庵を建てました。これが本地寺の起源とされています。
また、大村家の菩提寺である本経寺の日通上人は、江の串村にも寺の建立を祈願していたので、寛文9年(1669)京都本国寺の日運僧正のお許しを得て、併せて「本地寺」の寺号を賜った。この時、初代を日通上人の師日選とし、2代目を日通本人、3代目を宗喜日悦とします。
天和元年(1681)4代目日心上人は、大村藩に頼らず檀家さんの浄財だけで、現在地に寺を移したとされています。
跡地には昭和10年、35代井手寿峰上人達によって宝塔が建てられました。
後方の森の中に、現在の本地寺があります。
ちなみに、西日本旧石器研究の草分けとされる井手寿謙上人 はこちらの第36代ご住職でした。
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