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2013年3月16日 (土)

中島川石橋群をさるく10-眼鏡橋

中島川石橋群10番目は、国の重要文化財「眼鏡橋」。寛永11年(1634)、興福寺2代目住職黙子禅師が架けた日本初の石造りアーチ橋です。
黙子禅師は中国江西省の人で、寛永9年(1632)来日しました。石橋を架ける技術指導者でもあったようです。
その後正保4年6月の洪水で損害を受けたため、翌慶安元年(1648)平戸好夢が修復しました。平戸好夢という人物、石工らしいのですが具体的には謎の人物のようです。
その後他の石橋が度々流失しているにもかかわらず、長崎大水害で半壊するまで、度重なる大洪水にも耐えてきました。長崎大水害のエネルギーが如何にすごかったか想像できます。

Dsc_0095 Photo_4

下の写真は、「めがね橋」の「眼鏡橋」たる由縁を示しています。
江戸時代から「めがね橋」として親しまれており、明治15年(1882)正式に「めがね橋」と命名されました。


Photo 

下左の写真は、昭和57年長崎大水害で半壊した様子。
江戸時代の橋端は階段であったようですが、明治6年(1873)ごろ、人力車を通すため階段をなくしたとか。但し昭和28年(1948)以降車両通行は禁止されていました。

Photo_2 Photo_3

修復時には流された石材を使って復元しているそうで、近くで見ても、江戸時代からそのまま在るような風情を感じます。(漆喰が所どころ新しいくらいです(笑))

より大きな地図で 中島川石橋群 を表示

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