中浦ジュリアン出生地
天正遣欧使節の副使、中浦ジュリアンの出生地です。この地は小佐々水軍の一族で中浦城主だった小佐々甚五郎純吉が治めており、その子が中浦ジュリアンになります。ただ、父純吉はジュリアンが2歳の頃、永禄12年(1569)の合戦で討ち死にしています。
ここは「中浦ジュリアン」記念公園」として整備されており、展望台の上には遠くヨーロッパを見つめるジュリアンの銅像が建っています。銅像の周りには遣欧使節団の足跡等を紹介したパネルがありました。展望台の1階部分は小さな展示室になっており、関連の古文書が展示されていました。・・・で、この展示室、音が良く響きます。
近くにある顕彰碑は、地球の上に帆船をかたどったものであるとか。
近くの「城の山(中浦城跡)」は14・5世紀の山城で、小佐々一族の城です。海側が国道で削られていますが、本丸や二の丸、土塁などが残ってるといます。ただ地元の方の話では、特に説明板とかはないそうです。
ちなみに、出生地・城跡については江戸時代の大村藩の記録に、それと推定できる記述があります。
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