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2013年1月20日 (日)

長崎聖堂跡‐天領長崎の学問所

 「長崎聖堂」別名「中島聖堂」。向井元升(むかいげんしょう)が、正保4年(1647)に東上町に開いた立山書院を前身とし、正徳元年(1711)にこの地に移され、名称を「長崎聖堂」と改めています。祭酒に元升の三男元成が任じられて以後、代々向井家が祭酒を世襲しました。
 敷地は545坪(約1799㎡)で、本殿の大成殿や大学門など多くの建物があったようです。大学門と大成殿は市内の興福寺境内に移されているほか(県指定史跡)、孔子像、祭具、文書類は長崎歴史文化博物館の保管されているようです。
(現地説明板参照)

Photo

より大きな地図で 長崎聖堂跡 を表示

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