コメント・トラックバックについて

  • 申し訳ありませんが、以下のコメント・トラックバックは公開しないか排除させていただきますので、ご了承ください。 1.記事内容と関係のない内容のコメント・トラックバック 2.ブログのテーマに合わない内容のコメント・トラックバック 3.外国語のコメント・トラックバック 4.特定サイトへの勧誘のみのコメント・トラックバック 5.見た人を不快にさせる内容のもの 6.その他このブログに相応しくないと判断したもの

バナー

  • トレンドポスト
  • 九州沖縄の展覧会
  • 長崎の歴史と旅の遊学サイト「旅する長崎学」
    旅する長崎学
無料ブログはココログ

« 泉福寺洞穴‐世界最古の土器が出土 | トップページ | 長崎聖堂跡‐天領長崎の学問所 »

2013年1月14日 (月)

木下逸雲宅跡‐長崎南画興隆の基礎築く

長崎市八幡町、現在公民館になっている周辺に「長崎三画人」のひとり、木下逸雲の屋敷がありました。木下家は代々八幡町の乙名(代表者)を務めており、逸雲も一時期、乙名を務めていました。中国人から絵画を学び、長崎南画興隆の基礎を築いたとされています。

(写真をクリックすると拡大します)

Dsc_0060 Dsc_0059

ちなみに左のシャッターの中には、長崎くんちの出し物が入っている
…はずです(^-^;

より大きな地図で 屋敷跡 を表示

« 泉福寺洞穴‐世界最古の土器が出土 | トップページ | 長崎聖堂跡‐天領長崎の学問所 »

屋敷跡」カテゴリの記事

長崎市」カテゴリの記事

近世」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 木下逸雲宅跡‐長崎南画興隆の基礎築く:

« 泉福寺洞穴‐世界最古の土器が出土 | トップページ | 長崎聖堂跡‐天領長崎の学問所 »

2020年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック