木下逸雲宅跡‐長崎南画興隆の基礎築く
長崎市八幡町、現在公民館になっている周辺に「長崎三画人」のひとり、木下逸雲の屋敷がありました。木下家は代々八幡町の乙名(代表者)を務めており、逸雲も一時期、乙名を務めていました。中国人から絵画を学び、長崎南画興隆の基礎を築いたとされています。
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ちなみに左のシャッターの中には、長崎くんちの出し物が入っている
…はずです(^-^;
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