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2012年12月25日 (火)

川棚町のキリシタン墓碑

 川棚町の中心部、常在寺の境内に長崎県の史跡に指定されている一つのキリシタン墓碑があります。元和8年(1622)に没した「富永二介の妻」の墓碑です。大村藩では明暦3年(1657)の「郡崩れ」の後、領内のキリシタン墓碑が徹底的に破壊されますが、奇しくもその難を逃れた一つです。

Img_7241

 常在寺の左手に墓地があり、そこを登っていくと、墓地のはずれにその石碑があります。今でこそ端っこですが、中世の頃は中心に近い場所であったと云います。

Img_7239_3 Img_7243_2 Img_7240

より大きな地図で キリシタン墓碑 を表示

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