富川渓谷の五百羅漢‐災害犠牲者の冥福を祈る
諌早市の中央を流れる本明川の上流に富川渓谷があります。その岸壁に五百羅漢が刻まれています。夏は涼を求めて訪れる人も多いのですが、人の少ない秋口に行ってみました。
佐賀藩諌早領では、元禄12年(1699)の大洪水、翌年の大干害で飢えなどで苦しんだと云います。そのため諌早家第7代茂晴公は、本明川の水源である富川渓谷に五百羅漢を刻むことにしました。元禄14年からとりかかり、、宝永6年(1709)に完成します。
県内随一の磨崖仏だとか。一体一体の大きさはあまり大きくありません。県指定の史跡です。
(クリックすると拡大します)
平成19年の調査では、510体が確認されているようです。ただ、向こう岸にある分については、どこにあるのかよく見えません。
学生時代を国内の磨崖仏の9割が残る大分県で暮した身としては、浮彫ではなく線刻で、しかも時代の新しいものを「磨崖仏」というのは、「!」とこないところがあります(汗)。このタイプの磨崖仏が他県にもあったら知りたいですね。
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