久原城跡‐純友の孫、来る?
大村扇状地の南のはずれ、現在の市中心部付近にその古城はあります。
大村家の史料によると、天慶4年(941)「天慶の乱」で討たれた藤原純友の孫の直澄が、後に罪を許され、朝廷より肥前の国彼杵・高来・藤津の3郡を賜ります。正暦5年(994)に大村に下向し、久原城に入って大村氏を名乗ったと伝えられています。その後15代純治(すみはる)の頃、大村扇状地の北のはずれ、好武(よしたけ)城に移ったと云われています。
しかし最近の研究では、大村氏は元々藤津郡の平姓大村氏であったのが、戦国時代初期に藤津を追われて彼杵に入った、という説が有力です。
だったら、ここは何なんだ?
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