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2012年9月13日 (木)

近代公園の先駆者長岡安平生家跡

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 長崎街道彼杵宿本陣(現彼杵神社)脇に、日本近代公園の先駆者長岡安平の生家がありました。

 安平は天保13年(1842)、大村藩彼杵村(現東彼杵町)で生まれました。幼少の頃より庭造りに興味を持ち、郷土の自然景観を師として独学で造園の研究をしたと伝えられます。そんな安平の転機となったのは、郷土の先輩楠本正隆との出会いでした。楠本正隆は「大村藩勤王同盟三十七士」に名を連ねる幕末の志士で、明治になってからは官僚、政治家として活躍した人物です。

 安平は、明治5年(1872)正隆が新潟県令の時、日本最初の都市公園「白山公園」の設計に携わりました。その後正隆が東京府知事になると、明治11年に安平を東京府土木掛吏員に任命、芝公園を始めとする公園整備や街路樹植栽の任に当たらせています。

 明治29年に手掛けた秋田市千秋公園の設計は全国で評判となり、各地から公園・庭園の設計依頼が殺到したとか。その後大正14年(1925)に亡くなるまで、公園41件、庭園25件の他、史跡・名勝・天然記念物の保存にも力を注ぎました。中でも秋田県旧池田氏庭園は平成16年、国の名勝に指定されています。

 現在地元の歴史民俗資料館で、長岡安平について紹介されています。

この場所は、大正6年から銀行の用地として使用されています。詳細はコチラ

より大きな地図で 近代庭園の先駆者、長岡安平生家跡 を表示

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