何故、伊豆?
15日の大河ドラマ「平清盛」で、平治の乱の戦後処理が放映されていました。ここで源頼朝が伊豆に流されることは学校でも習いましたが、何故伊豆(東国)なのか?
東国は源氏の基盤のはず。若き日の義朝は関東で武者修行をし、平治の乱に敗れた時も、関東で再起を図るべく落ち伸びようとします。「平清盛」でもそのような描かれ方をしていたような。
ドラマでは「源氏を滅ぼす!」と云っておきながら、御曹司を源氏の勢力圏へ流す。流すなら平氏の勢力圏である西国に流した方が、監視できると思うのですがねえ。頼朝に義朝の面影を重ねた清盛が、頼朝が力を付けて這い上がって来るのを期待したということか。
今まで、書籍やネット上でも伊豆に流された理由について言及したものにお目にかかった事がないのですが、その訳は・・・
- 誰も注意を払わなかった?
- そもそもこの当時、源氏の勢力圏なるものは存在しない?
- 自分が発見できないだけ(汗)
こんなところでしょうか。
余談ですが、
頼朝が処刑されなかった理由として、若くして亡くなった池禅尼の実子家盛に似ていたためと云われていますが、配役は違う人ですよね。「家盛に似ている」と云う池禅尼の言葉に対して清盛に「似てません」と云わせたかったのかな?
「似ている」と云えば普通容姿だと思うのですが、雰囲気とかオーラと云ったものが似ているとは、解釈が新鮮な気がします。
« 伊万里街道の舞相一里塚跡 | トップページ | 玖島城武家屋敷1-草場小路 »
「NHK大河「平清盛」」カテゴリの記事
- 諸行無常、盛者必衰の理‐大河ドラマ「平清盛」最終回より(2012.12.24)
- 夕日が昇る?-大河ドラマ「平清盛」より(2012.08.28)
- 何故、伊豆?(2012.07.16)
- 家盛決起―「平清盛」より(2012.04.08)
- 祇園闘乱事件ー大河ドラマ「平清盛」より(2012.04.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント