魚洗川D遺跡
「いわれご」と読みます。雲仙市(旧国見町)の百花台公園から雲仙岳に登る国道周辺にAからEまでの遺跡があります。先日ネット上で久々に「魚洗川」の地名を見たので、懐かしくなり訪れてみました。
この辺りから上が魚洗川D遺跡になります。旧石器時代から縄文時代にかけての遺物が出ています。
平成3年に県道の拡幅工事に伴う緊急調査で発見された遺跡で、長崎県教育委員会が発掘調査を実施しています。その成果は「県道国見雲仙線改良工事に伴う埋蔵文化財緊急発掘調査報告書」にまとめられています。
現在は国道389号線ですが、発掘調査が行われた時点では県道でした。しかも車が一台通るか通らないかの細い道でした。山奥~、という感じでしたね。今では道も広くなって、ずいぶん印象が違います。
また、あの頃は雲仙普賢岳が噴火していたころで、火砕流がよく発生していました。風向きによっては、この辺りにも火山灰が降ってきたものです。
ここからしばらく登ると、魚洗川茶屋跡の案内板があります。長崎県の遺跡地図には載っていないようです。由来と正確な場所を書いた説明板がほしいですね。
場所はというと、当時「山奥」という印象の魚洗川D遺跡からさらに登ったところです。この付近に、島原藩御城下から半島西海岸に抜ける山越えのルートがあったとか。ビックリです。
(追記:さらに登ったところに最短ルートがあるとか)
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魚洗川お疲れさまです。
魚洗川の集落は、分かれ道の下に砂防ダムがありますが、あそこにあったようです。
最後の家が昭和26年まで、雲仙普賢の噴火が平成2年から平成7年ですから、かなり日にちがたってからの調査ですね。国見は、遺跡が多く、あちらこちらの畑からも、土器、鏃が出ているそうです。古墳も有り、五万長者の話もあり、昔はかなりの集落があったのではないでしょうか。
山越えについては、千々石では日常聞く話であり、千々石から魚を島原方面まで運ぶ途中、ここで、魚が傷まないように洗っていったそうです。
ここから、田代原まで山越えの道が分からないのですが、某施設職員と郷土史家の方が一日がかりで見つけ、きれいにし、標識を建てたそうですが、国の某機関から怒られたそうです(国有林だから当たり前でしょうが)。連絡なしでやったみたいです。聞くところによると思ったより時間はかからないそうです。
西海岸から島原の最短距離だったら、殿様道を使わず、千々石~弘法原~田代原(この道は、昔、早駆街道といって、海舟、龍馬が通ったという話があります、海舟日記を調べましたが確たる記述はありませんでした。現在は九州遊歩道になっています。)~島原方面でしょう。
なお、今年中、魚洗川方面で発掘調査をするそうです。多分、砂防ダム方面ではないかと思いますが・・・
投稿: sugikan | 2012年6月22日 (金) 21時48分
情報ありがとうございます。魚洗川茶屋を通る山越えの道があるというだけで驚きなのに、最短ルートが別にあったんですね。しかも地図で見るとかなり険しそう…。
魚洗川方面の発掘調査というのも気になりますね。
投稿: 高来郡司 | 2012年6月23日 (土) 01時38分