桜田屋敷跡-九州最古の藩校
大村公園に入ってすぐ、国道と角堀跡の池に挟まれたエリアに屋敷跡があります。この場所は元々「黒石原」という浜辺でしたが、慶長4年(1599)玖島城築城時に埋め立てて屋敷地になりました。
寛文10年(1670)4代藩主純長の時代に、藩校「集義館(しゅうぎかん)」として家臣に学問や武道を習得させました。全国で7番目、九州最古の藩校です。
元禄7年(1694)静寿園に改称、寛政2年(1790)藩校を拡充して「五教館(ごこうかん)」に改称しています。天保2年(1831)本小路に移転しています。
また、延宝年間(1673~1681)に桜100本を植え、現在の桜並木の原型が作られたといいます。春の花見の時期は大変賑わいます。さらに元禄15年(1702)に築山や池を造り、遊宴の地としたといいます。現在の庭園は、国道で半分ほど削られています。この庭園、はじめて行くと少し判り辛い場所かもしれません。
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