清水坂下の千部塔-廃仏毀釈運動の犠牲に
長崎自動車道東そのぎICから大村方面へ約5km。東彼杵町里郷、国道34号線の脇に一つの千部塔が建っています(千部塔・万部塔の由来についてはコチラ)。本来は題目塔なのですが、その上から猿田彦大明神の名が彫りこまれています。
慶応4年(1868)、新しいお上により、これまでの神仏習合を禁止し神道と仏教をはっきり区別するようお達しがありました。俗に「神仏分離令」と呼ばれます。ところがお上の意図に反し「廃仏毀釈」運動が民衆の間に広がってしまいます。
この千部塔もお上のお叱りを恐れた村人が、猿田彦の名を彫ったと伝えられています。ただ、町内に残る千部塔・万部塔十数基のうち廃仏毀釈運動の被害に遭ったのは一つだけのようです。
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コメント
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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 履歴書の書き方 | 2012年6月19日 (火) 11時43分
ありがとうございます。
投稿: 高来郡司 | 2012年6月19日 (火) 18時54分