玖島(大村)城をさるく2-玖島崎樹そう
玖島城に本丸の東側から北側、西側にかけて茂る自然林があります。すでに江戸時代大きな樹木があり、大村を訪れた文人の日記にもお城の建物が樹木で見えないという逸話が出てきます。明治時代に廃城になったのち、人の手が入らなくなったため、今のような樹そうになったといいます。
多くの種類の暖地性樹木や草本が生い茂り、中でもこれまで県内諌早市の城山公園が北限とされていたヒゼンマユミが幾つか見つかっています。自然保護上、また学術上大変貴重だという事で、県の天然記念物に指定されています。
写真は本丸西側の樹そうで、左手に空堀、右手に三の丸があります。まっすぐ進むと城の南側、板敷櫓に出ます。本丸の東側と北側は斜面がほとんどなので、樹そうの中を散策するには最も適した場所でしょう。
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