玖島(大村)城をさるく3-城の縄張(前編)
玖島はその名の通り島でした。喜前が城を築くにあたり、城の北側今の大村公園入り口付近を堰き止めて、城の入り口としています。
その後純頼の時代、大手門の移設に伴い今度は南側を堰き止めて入口としました。
大手入口門跡。ここから大手門前までを「二重馬場」といい、二本の道が走っています。元々海だったと所を堰き止めて造っています。
大手門跡。木に隠れて見えませんが、石垣があります。当時は鉄門付きの渡り櫓門があったといいます。慶長19年(1614)に改修した時に造られています。
長堀跡(左)と南堀跡(右)。長堀は大手門から東側にかけて、南堀は大手門から南側にかけて続いています。5月下旬から花菖蒲が見頃です。
板敷櫓台。観光パンフ等でよく見かけるのがこの櫓です。この櫓の北側には空堀があります。櫓自体は復元されたものです。大手門から櫓台にかけての石垣は慶長19年の改修時に築かれたものだとか。扇勾配の石垣が加藤清正との関係を窺わせます。
大手門を抜けると右手に穴門跡があります。穴門を抜けると長堀の内側の郭になります。用途がよく判りません。大改修前の裏門跡でしょうか?
角堀跡。元は海だった場所です。桜の名所でもあり、4月には花見客でにぎわいます。
いろは段跡。城の北側にあります。大改修以前の大手門で、石垣も古い形式です。石段はいろは47文字にちなんで47段あるらしいのですが、一番下から門の入口まで44段しかありません。もしかして門を入って左手の3段も加えるのか?
以下後編。
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