コメント・トラックバックについて

  • 申し訳ありませんが、以下のコメント・トラックバックは公開しないか排除させていただきますので、ご了承ください。 1.記事内容と関係のない内容のコメント・トラックバック 2.ブログのテーマに合わない内容のコメント・トラックバック 3.外国語のコメント・トラックバック 4.特定サイトへの勧誘のみのコメント・トラックバック 5.見た人を不快にさせる内容のもの 6.その他このブログに相応しくないと判断したもの

バナー

  • トレンドポスト
  • 九州沖縄の展覧会
  • 長崎の歴史と旅の遊学サイト「旅する長崎学」
    旅する長崎学
無料ブログはココログ

« 世界一の飛竜窯とその周辺 | トップページ | 玖島(大村)城をさるく3-城の縄張(前編) »

2012年5月21日 (月)

932年前の金環食

 国内の広い範囲で見られる金環食としては932年ぶりという事で、932年前の出来事を調べて見ることにしました。

 西暦1080年の出来事が載っていそうな書物というと、「今鏡」「扶桑略記」「水左記」「帥記」「江記」「為房卿記」「時範記」あたりでしょうか?原資料は地方ではまずお目にかかれないので、東京大学史料編纂所から出ている「史料綜覧第二」のお世話になりました。

 調べてみると承暦4年11月1日(ユリウス暦1080年12月14日・グレゴリオ暦1080年12月20日)に「日食」の記述がありました。(史料綜覧では「月食」と書かれていたのですが、前の月の15・16日にも「月食」の記述があるので、日数から考えて日食ではないでしょうか?)

  「物の怪」や「怨霊」が普通に信じられていた時代です。災害や戦乱の記録を期待していたのですが、今回使用した史料には、同年6月の大雨と7月の地震が載っていました。翌年は災害等の記録はないようです。三ヶ月後に「承暦」から「永保」に改元しますが、日食の為ではなく「辛酉革命」によるもののようです。こじ付ければ、永保3年「後三年の役」の前兆だったという事で。

 記録を書いたのは日食の何たるかを知っている貴族たちな訳で、一般民衆は物の怪か怨霊の仕業とでも思ったのではないでしょうか。
 
寿永2年閏10月1日(ユリウス暦1183年11月17日、グレゴリオ暦1183年11月24日)の源平合戦(水島の合戦)のさなかにあった金環食では、日食のことを知らない木曽義仲軍が大混乱に陥って敗走してしまうという記録があります。
 100年後でもこれだけ慌てているわけで、当時国内の広い範囲で金環食もしくは部分食が見られたという事は、それだけ多くの民衆が慌てふためいたのではないでしょうか。そんな史料が見たかったですね。

« 世界一の飛竜窯とその周辺 | トップページ | 玖島(大村)城をさるく3-城の縄張(前編) »

古代」カテゴリの記事

歴史と民俗のコラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/580211/54736884

この記事へのトラックバック一覧です: 932年前の金環食:

« 世界一の飛竜窯とその周辺 | トップページ | 玖島(大村)城をさるく3-城の縄張(前編) »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック