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2012年5月27日 (日)

玖島(大村)城をさるく4-城の縄張(後篇)

城の二の丸は本丸の北側から、西、南側を帯郭状に巡っており、その南西の隅(板敷櫓側)が袋状に突き出だ形になっています。また、西側の空堀を隔てて三の丸があります。

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桝形跡。大手門を入って左手の石段を登るとあります。

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虎口門跡。本丸の城門。向かって右手に櫓がありました。ここを入ると本丸御殿がありました。

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台所門。本丸の城門。藩主の住居を俗に「お台所」といい、その出入り口を台所門と云います。

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搦手門跡。本丸の裏口になります。慶長4年の改修までは、こちらが表口でした。櫓門があったと伝えられています。

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玖島城に天守閣はありません。本丸には御殿があり、その内政庁部分は現在の大村神社、私邸部分は玖島稲荷神社の境内になっています。

次回に続く

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