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2012年4月24日 (火)

遠目百貫石―佐賀藩、大村藩領有権争い

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長崎県大村市から佐賀県嬉野市へ通じる県道6号線を県境まで行くと、現在自衛隊演習場となっている「大野原高原」があります。

県道6号線の歴史は結構古く、律令制の時代には肥前の国の国府から、肥前彼杵郡、高来郡に抜ける駅道が通っていたと推定されています。また戦国時代には、佐賀側から大村側への進軍ルートとして度々使われています。そのため江戸時代大村藩では、峠に通じる登り口付近に国境警備のための鉄砲隊を配置していました。江戸時代には長崎街道の裏街道として利用されていました。

大村藩と佐賀藩の間では、この地を巡る領有権争いが絶えませんでしたが、天明7年(1787)、双方で合意が成立したといいます。

記録では、

大野原境目、先年より佐賀領と論地の場所。天明7年熟談に相成り、双方境方役人立ち会い境杭打ち付け候につき、郡奉行河野与右衛門、小目付佐藤甚右衛門、彼地へまかり越し見分相済み、甚右衛門見届け候。

とあります。この後基準となる細かい数字が出てきます。

また伝承では、

大村方が「この大岩から見渡せる範囲を百貫で売ろう」と提案すると、佐賀方が「よし、買った!」といったそうな。そこですかさず大村方「『買う』というからには、この土地が大村領であることを認めたな」と。それからこの大岩を「百貫石」という。

とあります。

この大岩は長崎県東彼杵郡東彼杵町遠目郷の県境にあります。以前は写真右側道路の辺りに大岩とその上に載った小ぶりの岩がありましたが、県道を拡幅する際、移設可能な上の岩を現在地に移して記念碑にしたとか。

余談ですがこの県道、大村市の野岳堤から県境まで一部広くなっていますが、まだ離合困難な場所も多く、注意が必要です。

より大きな地図で 東彼杵町の史跡 を表示

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