長崎街道松原宿
松原宿は大村宿と千綿宿の間にある宿場町で、南北約640m、71軒の家が軒を連ねていたといいます。宿場の中心にある八幡神社門前付近に、当時の面影を残しています。
松原村は建久元年(1190)、源頼朝の重臣工藤祐経が全国33か所に賜った領地の一つで、現地の管理者として下向したのが伊東家であると伝えられています。以後、代々八幡神社の別当を務めてきました。また戦国時代には、中岳の合戦で敗走した大村純伊を、松原浦から脱出させる際に手助けをしたといわれます。
五色塀
屋敷を囲む塀は「五色塀」と呼ばれる大村地方独特の造りで、松原宿ではここだけのようです。
奥に見えるのが八幡神社、手前が茶屋跡になります。松原宿には本陣・脇本陣がないので、元禄時代に酒屋を兼ねた休息施設として建てられたようです。今でも酒屋の店舗が残っています。
八幡神社参道入り口、茶屋の道向かいにあります。ここもまた、休息施設として利用されていたとのこと。その後、明治から昭和40年ごろまで旅館として使用されていました。中も見学できるらしいが、この日は閉まってました(^-^;
八幡神社前から大村方面にしばらく行くと、古い石垣が残っています。現在は市立松原小学校になっていますが、この場所に庄屋がありました。また、その門前には高札場があったようです。
ちなみに松原宿は「松原鍛冶」で有名な場所で、特に「松原鎌」で知られています。
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