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2012年4月 1日 (日)

祇園闘乱事件ー大河ドラマ「平清盛」より

久安3年(1147)、祇園社の関係者と清盛の朗党が小競り合いを起こした事件。清盛は、わざと宝殿(ドラマでは神輿)に矢を放ったとか。

この事件で、平家の跡取りを弟の家盛にという動きが出てきますが(ドラマでは家盛が直接清盛に宣戦布告)、次回に続く(*^-^)

で、史実通りなら2年後の久安5年(1149)、弟の家盛が20代の若さで急死します。鳥羽法皇の熊野参詣に病を押して同行し、病を悪化させ亡くなったとされていますが、この家盛急死の件、ミステリーファンの私としては謀略の臭いがプンプンします。なにせ、清盛の立場を危うくする人間がいなくなるわけですから。

家盛は本当に病死なのか?謀略によって殺されたのか?表面上病死に見えるような殺され方をしたのか?公的には死んだことになってるが、実は生きていたとか?

最後の生存説、実は長崎県五島列島北端の宇久島に一つの伝承が残されています。伝承によると、壇ノ浦の合戦後宇久島に流れ着いた平家盛が、五島の戦国大名五島氏の祖となったというものです。

はたして、かの平家盛は死んだはずの清盛の弟なのか?同一人物なら壇ノ浦までの30年余り、どこで何をしていたのか?かえって謎が増えてしまった(゚ー゚)

次週、ドラマがどんな展開になるのか楽しみです。

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NHK大河「平清盛」」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
アメブロで大河ドラマのレビューを書いています。
一大河と申します。
よろしくお願いします^^


家盛病死謀略説、面白いですね。
しかも生存説があるとは驚きです!

はじめまして。

謀略説は一ミステリーファンの勝手な思い込みですが(^-^; 生存説については、実際長崎県宇久町(現佐世保市)には家盛ゆかりの地が幾つかあって、「平家の里」として町おこしをしているようです。

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