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2012年2月22日 (水)

旧海軍用水跡

以前紹介した庄屋公園から国道34号線を大村方面に向かうと、左手に錨の形をした記念碑が目に入ります。 

案内標識の先に駐車スペースがあり、その傍らに記念碑があります。ちなみにこの駐車スペース、明治時代に造られた旧県道の名残です。以前紹介した県道開通記念碑の場所に繋がります。

記念碑は昭和8年に建てられたものですか、戦時中錨の部分が取り外されてしまいます。その後昭和29年に再建されました。昭和49年には説明板もあったはずなのですが、いつの間にかなくなっています。肝心の水路はというと案内標識の手前、雑草の陰に隠れ見落としてしまいそうな場所にあります。

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前に佐世保鎮守府の水道施設「堺木峠の減圧井」について紹介しましたが、水道施設が出来る前は、千綿村(現東彼杵町)まで船で水を汲みに来ていました。 

海軍の運搬船が川棚町の大崎半島を過ぎ汽笛が聞こえると、水路の管理人が千綿川からの取り入れ口に向かい、水門を開けます。水が記念碑横の水路に達する頃には、取水準備が出来ていたと伝えられます。地元の古老の話では、樋のようなものを使っていたそうです。鎮守府が開庁する明治22年から水道施設が完成する明治34年ごろまで利用されていたようです。

明治31年に現在のJR大村線が海側を通るのですが、取水中に列車が来たらどうしたのか、少し気になります。当時の大村線(まだ国有化前)は長崎に向かう本線でしたが、現在の感覚からするとよっぽど本数が少なかったのでしょうかね。夜じゃないと思いますよ(^-^;

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