本川内駅のスイッチバック跡
長与町のJR長崎本線(旧線)本川内駅は、かつてスイッチバック方式の駅でした。
左奥諌早方面から来た列車は、左手前のホームに入ります。そこから右奥にバックし、右手前長崎方面へ向かいます。
平成14年にスイッチバックが廃止され、新しいホームが出来ています。
子どもの頃、列車で通るたびに不思議に思っていました。このスイッチバック、さほど勾配がきついとは思えない。停車しない列車もある。ナゼ?
峠の中腹から眺めてみても、謎は深まるばかり。
蒸気機関車の構造上の問題かとも考えましたが、答えは本川内駅の歴史にありました。
この駅は、単線区間における列車行違いのため、昭和18年に信号場として開業したそうな。それまでは普通に通過していたということか。山と川に挟まれた傾斜地という地形的制約でスイッチバック方式になったらしい。戦時中なので、恐らく鉄道輸送の高速化を図ったのでしょう。その後、昭和27年に駅に昇格しています。蒸気機関車も普通に通過できたんですねえ。
ちなみに新線の開通は昭和47年なので、この当時まだ出来ていません。
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