大村純忠終焉の地
日本初のキリシタン大名大村純忠が晩年をすごした居館跡に行ってみました。
長崎自動車道大村ICを降りて、国道444号線を鹿島方面に向かうと、高速道路の下をくぐるあたりにその遺跡はありました。現在市の史跡に指定されています。
この場所は古くから「坂口館」と呼ばれており、元は重臣庄頼甫の屋敷です。
(余談ですがこの庄頼甫、以前紹介した「中岳古戦場跡」で登場する庄左近の子孫と思われます)
長崎港の開港や天正遣欧少年使節団の派遣などの業績を残した純忠ですが、その晩年は佐賀の竜造寺隆信の圧力に屈し、この地に隠居しました。その後天正15年(1587)、純忠は波乱に満ちた生涯を閉じることになります。
高速道路の建設時に発掘調査が行われ、現在は遺跡公園として整備されています。また、この居館の裏手には庭園跡といわれる泉が残っていて、どんな干ばつでも枯れないといいます。
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天正遺欧使節はこちらの千々石ミゲルも関係していますね。一時大村藩にも寄ったとか。
ぼちぼち、大村方面にも足を伸ばそうかと思っています。
投稿: sugikan | 2012年1月18日 (水) 21時18分
sugikanさん、こんにちは。
千々石ミゲルは大村純忠の甥にあたりますからね。何年か前に多良見町で千々石ミゲルの墓と思われるものが見つかってますね。いずれ行ってみようと思います。
投稿: 高来郡司 | 2012年1月18日 (水) 21時52分