千綿村庄屋跡
東彼杵町瀬戸郷の国道34号沿いに「庄屋公園」という小さな公園があります。ここは江戸時代千綿村庄屋があった場所です。
元禄10年(1697)に瀬戸郷馬場からこの地に移転したと伝えられています。その後明治時代になって村の役所として機能する一方、明治32年までは千綿小学校が併設されていました。役所としては昭和34年まで千綿村役場、52年まで東彼杵町千綿支所として機能していました。庄屋時代の建物は昭和27年まであったようです。
昭和24年に、全国巡幸で千綿村を訪れた昭和天皇が休息をされた場所ということで、記念碑が建てられています。このころはまだ庄屋時代の建物だったことになります。
また、ここから海岸に下りると(もっとも今では途中の線路に柵がしてあるので通れませんが)、庄屋の波止があって、大村の御城下に年貢などを運んだようです。
では元禄10年以前の庄屋がどこにあったかというと、ここから瀬戸の大神宮に通じる道を登っていくと、やがて長崎自動車道の下をくぐります。くぐったすぐ右手にロータリーがありますが、この辺りが旧庄屋であったと伝えられています。
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