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2011年11月23日 (水)

日清戦争戦勝記念宝塔

彼杵宿の嬉野口から一の瀬橋を渡り、「立馬場」と呼ばれる長崎街道の直線道をしばらく歩くと、左手に一つ宝塔が建っています。

Photo_3

明治27年(1894)、以前から対立していた日本と中国(清国)は戦争に突入します。この戦争で彼杵村からも陸軍20名、海軍6名が出征しています。また、国内では戦勝祈願の「講」なども行われていたようです。

 お祈りの成果があったのか、翌28年日本の勝利で戦争が終わります。この当時各地に記念碑が建てられたようですが、ここ東彼杵町でも高さ約3m巨大な宝塔が建てられました。この石は近くの山から切り出し、修羅とコロを使って千人がかりで運んだと伝えられています。

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