日本二十六聖人乗船場跡
旧長崎街道の彼杵宿入り口から彼杵川右岸を河口に向かうと、一つの大きな石碑があります。
慶長二年(1597:現地説明板)、長崎の西坂の地で殉教したカトリック信徒縁の場所です。
大坂の堺を出た一行は、処刑前日の午後肥前の国彼杵村に入ります。そしてその日のうちに大村湾の対岸にある時津村へと護送されました。
彼杵村を出るまで一行は陸路を歩かされていますが、これは見せしめの意味を持っていました。では何故、彼杵村から船なのか?
この大村湾一帯は大部分が大村領であり、キリシタン大名として知られる大村純忠が治めていた土地です。当時純忠はすでに亡く、子の善前(よしあき)がこの地を治めていました。善前が日蓮宗に改宗するのは江戸時代になってからであり、このときはまだキリシタンでした。当然、領民にもキリシタンは多かったはず。したがってこの地では、彼らは罪人ではなく、いわば英雄であったと考えられます。陸路長崎に向かったところで、見せしめの意味を成さないのでした。
乗船場跡の石碑は、彼杵川の右岸。駐車スペースもあります。但し実際の渡し場は左岸にあったといわれています。石碑を建てる場所がなかったということらしい。
尚この渡し場は、元禄時代まで長崎街道の時津渡しとして機能していたそうです。
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