ひさご塚古墳ー長崎県指定史跡「彼杵の古墳」
長崎自動車道東彼杵IC から佐世保方面にしばらく行くと左手に大きな古墳が見える。
場所は、長崎県東彼杵町。隣接する道の駅に車を止め、早速見学することにしました。
古墳周辺は歴史公園として整備されており、古墳自体も築造当時の姿に復元されていました。
全長58.8mの前方後円墳で、5世紀の前半から中ごろに造られた、県内でも最大級の古墳だそうです。
埋葬施設として、石棺系の石室が2基見つかっており、そのレプリカと位置関係を示す屋外展示が前方部の脇にあります。
1号石室 2号石室(レプリカ)
構造は、大村湾沿岸の弥生時代に多い箱式石棺を大型化したような造りで、2号石室は、さらに横口を設けています。横口式の竪穴式石室はこの時期の北部九州で見ることができますが、弥生時代からの伝統の箱式石棺を石室の腰石に見立て、当時大陸から入ってきた最先端の横口を設けているあたり、結構面白い。
副葬品として銅鏡や鉄製品が出土、隣接する歴史民俗資料館に展示していました。
長崎県指定史跡「彼杵の古墳」として、昭和25年4月10日指定をうけ、平成2年と5年に発掘調査が実施されている。
県内にある古墳の被葬者は、海上交易に長けた部族である可能性が指摘されています。このひさご塚古墳の被葬者もまた同じだったかもしれません。
面白いことに 地元の伝承では、武内宿禰の家来の墓とされています。神功皇后の三韓征伐の折、従軍した水軍のリーダーだったのかもしれません。
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