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2011年10月29日 (土)

長崎街道の大楠

東彼杵町立大楠小学校の正門前から少し降りると、一本の大きなクスノキが目に入る。江戸時代、ケンペルやシーボルトによって紹介された巨大なクスノキがありました。その大きさは周囲16.88m、直径5.37m、中は空洞になっていて畳8畳分の広さがあったそうです。

 地元の伝説によると、その昔弘法大師がここを通られた時、杖を田の畔にさしたまま去られたとか。すると、その杖から芽が出て枝を伸ばし、数年後には大楠に成長したそうな。

 東彼杵町出身で東洋大学の西田卯八教授は、樹齢3500年ほどで、「彼杵」の地名の語源ではないかと推察されている。

 残念ながら、当時の大楠は明治時代の中ごろ、樟脳の原料として切り倒されたそうです。その後地元の人が一本の苗を植えたとも、切り株から新しい芽が出たとも伝えられており、現在に至っています。

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