村にキリシタンがいないことを示すー本町万部塔
旧長崎街道彼杵宿の長崎側の入り口、彼杵川のたもとに「「本町万部塔」と呼ばれる題目塔が建っています。
東彼杵町内に18基ある「万部塔」「千部塔」の一つで、地元では宝塔様とも呼ばれている。江戸時代の初め、寛文年間に建てられたものだそうです。
キリシタンはすでにいないと思われていた明暦3年(1657)、大村藩郡村(こおりむら、現大村市)で大量のキリシタンが見つかり処刑される「郡(こおり)崩れ」と呼ばれる事件が発生します。
その後大村藩の玄関口にあたる彼杵村では、キリシタンがいないことを証明するため、それぞれの集落の入口に宝塔を建てたと考えられています。
本町の万部塔は寛文7年(1667)の建立と書かれていました。「一部」は法華経の経典7万字にあり、その千倍のお経を唱えたものを「千部塔」、万倍のお経を唱えたものを「万部塔」呼ぶようです。お寺の方の話では、それぞれ千人、一万人で唱えれば、一回で済むそうです。
ただ、当時の彼杵村の人口が全体で四千人程度なので、一回じゃ無理でしょうね。
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