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2011年9月29日 (木)

ニイタカヤマノボレー針尾無線塔

ハウステンボスから西海橋方面に国道を走っていると、

巨大な3本の塔が見えてきます。国道からの入口が判り辛いのですが、勘を頼りに農道に入りました。

Photo_8

しばらく行くと、海上保安庁の送信施設前に出ます。ここから見ると、高さ130mを超える巨大なコンクリート製の柱が天を支えている。

この塔は、元々大正11年に完成した旧日本海軍の無線塔で、戦後は海上自衛隊と海上保安庁が共同で使用していました。現在は新しい施設が完成したため、その役割を終えています。近くには、旧海軍の施設と思われる古い建物が残っています。

Photo_9 Photo_10

Photo_11 Photo_12

子どもの頃、太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信した電波塔と聞かされていましたが、最近では、真珠湾攻撃部隊ではなく、南方部隊に送ったという説や、そもそも発信していないという説まであるようです。

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